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激レアさんを連れてきた。から再び学んだ話

みなさん昨日の「激レアさんを連れてきた。」見ましたか?

小学校のときの「昨日の学校へ行こう見た?」みたいな入りになりまして申し訳ないです。

とりあえず昨日の激レアさんがまたいいお話だったんですよ。

ちなみに前回の激レアさんの記事はこちらです。

本題のお話です。

昨日の激レアさんが、

「小学校に6日しか通わなかったので、嘘みたいに何にも知らなかったけど、

スーパーマーケットのバイトだけで文字や常識を学び、超やり手の社長になった人」

長え。

でもこれが激レアさんクオリティ。

文字に全てが詰まってる。

この激レアさんがハットリさんという方。

現在とある企業の社長さんとして活躍されているとのこと。

実際どんな人生を歩んできたのでしょう。

4章に分けて記載していきます

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第1章 帰国子女からヤンキーの世界へ。

第2章 スーパーマーケットでのアルバイトで覚醒。

第3章 「ありがとう」と言われる喜びから、「おもてなし」を極め社長へ。

第4章 死ぬほど刺さったハットリさんの2つの言葉。

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第1章 帰国子女からヤンキーの世界へ。

幼少期は海外で生活し、7歳の時に帰国。

しかし、そこで転入した小学校の水が合わず、6日で不登校に。

参加した授業は

体育×5、音楽×1という副教科のオンパレードだったそう。

ハットリさんがお住まいだった地域は、

石を投げればヤンキーに当たると言われ、

ビーバップハイスクールのエキストラを募集は

ここでやれば集まるくらいの地域だったそう。

必然の流れでハットリさんもヤンキーの世界へ。

更生施設に入れられたりと、

波乱万丈な感じで15歳になったそうです。

第2章 スーパーマーケットでのアルバイトで覚醒。

転機は15歳の時に突然訪れます。

氷室京介似のリスペクトする先輩に、

「お前は全うに生きて仕事をしろ。」

的なことを言われ、

普通の日常に戻ることに。

仕事をする人=社長

だと思ったハットリさんは社長になることをここで決意。

そこで、まずやろうと思った仕事がスーパーマーケットでのアルバイト。

何故スーパーにしたかというと、

「スーパーってなんか強そうだったから。」

という微塵もヤンキーが抜けていない発想から。

とりあえず電話するも、

「今募集してないよ。」

と一蹴。

しかし、ハットリさんは全く諦めません。

スーパーに直談判をし、

「2時間だけだったら働いていいよ。」

とたった2時間の研修期間をもらうことに成功。

そこで、初日にハットリさんがとった行動が、

「全力で10時間働く」

2時間経って「もう上がっていいよ」と言われても働き続けたそうです。

メンタルやべえ。

見習いたい。

そこから週7でシフト以外の日、時間も全部全力で働く日々がスタート。

しかし実質幼卒のハットリさんは、

■ひらがなしか読めない

■両手で数えるだけしか計算できない

というダブル役満状態。

電卓に感激し、×ボタンを「バツ」だと思って

「押したらヤバイことになる。」

と思っているほどの無知の極み男子だったので、

とても周りの方も「振り込んだら飛ぶ」と思ってたそうです。

しかしそんな逆境でも、

ハットリさんは死ぬほど働きます。

商品のポップ作成で漢字を覚え、

在庫管理で計算を覚え、

ホッチキス、シャーペン、ボールペンといった道具に感激し、

水が氷になることを覚えたり、

世の中の常識を全てスーパーマーケットで学んだとのことでした。

第3章 「ありがとう」と言われる喜びから、おもてなしを極め社長へ。

ずっと死ぬほど働き4年がたったある日

「社員にならないか」

とスーパー側から嬉しいお言葉をいただくハットリさん。

しかし、

社長になることが目標のハットリさんは即断ったとのこと。

その頃にはすでに

「あそこのスーパーに常に全力の社員がいる」

と話題になっていたそう。

常連さんに街で会ったら、

「また来てください!」

と声をかけるほど全力。

そんなハットリさんに、

とあるお客様から

「うちのコンビニで働かない?」と

声をかけられます。

ハットリさんはスーパーでは食品しか担当していなかったが、

「コンビニでは全てを見れる、社長に必要なスキルだ!」

とのことでそのお話を受けコンビニへ転職。

そこでもお客さんに喜んでもらうために

ひたすら全力で接客します。

コンビニのトイレでおしぼりを渡すといった、

高級キャバクラ並みの接客、

運転免許書をコピー機に忘れた長距離トラックの運転手の家まで、

忘れ物を届けに行く接客、

といったレベル違いの接客を行い、

20歳で店長に。

23歳でオーナーに

そして10店舗のフランチャイズを経営する社長にまでなったとのこと。

「ありがとう」と言われる喜びから、

「おもてなし」を極めたハットリさんの話を聞いて、

夜12時過ぎに1人で感動していました。

第4章 死ぬほど刺さったハットリさんの2つの言葉。

「お店やったり接客業やったるするのが楽しくてしょうがなかった。」

「学びが止まらない」

とハットリさんは当時のことを振り返ってました。

この2つの言葉深い。

死ぬほど深い。

お客様と接する仕事をやっている身からすると、

本当に共感するし、

本当に忘れてはいけないなと思います。

そして何事も全力で行う。

当たり前のことを当たり前にやる。

巷では「生産性」「効率」「働き方改革」というような言葉が近年主流ですが、

こういう根本の考えを本当に意識しないとなと思わされた回でした。

ぜひ見て欲しいです。

YouTubeに上がってるんで。

ぜひ見て欲しいです。

弘中ちゃんが死ぬほど可愛いんで。


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